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この結末はありかと。『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』

2019年8月2日から公開されている映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』。『ドラゴンクエストシリーズ』としては初めて3DCGで実写化した映画作品で、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』がストーリーのベースになっています。
劇場で予告編を見たら、ドラクエをプレイしたことがある人ならかなりの確率で、あのドラクエの3D CG版映画に興味を抱くと思います。

あのドラクエを映画で観るという体験をしてみたい。その衝動に駆られて封切り直後に映画館へ足を運びました。普段は映画のレビュー記事は守備範囲外なので書きませんが、今回は対象がドラクエであることと、少し思うところがあったのでレビューを書いてみます。

ネタバレは避けますが、この映画を語る上ではネタバレ不可避どころかネタバレの核心部分のインパクトが巨大すぎて、逆にそれがすべてを決めると言っても過言ではないのでバレてしまったらごめんなさい。

まず、私は飽きっぽいのでちまちまプレイすることを強要されるロールプレイングゲームが好きではありません。

若い頃はそうでもなかったのでドラクエはファミコン時代のⅠ/Ⅱ/Ⅲ/Ⅳまでは最後までプレイしましたが、スーパーファミコンは持っていなかったこともあり、今回の映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のベースになっている『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』は実はプレイしたことがありません。リメイク版含めてです。

スーパーファミコン世代のドラクエには手を出さなかったですが、その後のドラクエには手は出している(でも途中で放り出した。ファイナルファンタジーも一緒。最後までプレイする持久力がない。それが嫌になって最近ではドラクエ・FF含めてRPG自体プレイしなくなった)ので、ドラクエに対する思い入れはそれなりにはあります。

通常私が映画を観るときは予告編を観て映画館に足を運ぶか否かを決めます。先に個人の感想や批評の類いは見ません。
しかし今回は情報を求めていなくても結構ツイッターなどのSNSで酷評が勝手に流れてきてました。

そういう時は目を通さないようにするのが常ですが、私のツイッターのタイムラインは当然ゲーム好きが多いため嫌でもその酷評が目に入ってきてしまいます。

目に付いた酷評で、見えてしまって記憶にインプットされてしまったキーワードは以下でした。

・ラストが酷い
・VR

ラストが酷いと言う話は映画によくあるのであまり気にしないようにはできますが、ドラクエ映画とVRがどうしても結びつきません。VRが気になりつつも、ポップコーン片手に映画を見始めました。

予告のCGクオリティへの期待が冒頭から裏切られる

テキストキャプションが出る。
ドット絵テキスト。スーパーファミコン版ドラクエVの画面がそのまんま冒頭シーンで流れ、たぶんゲームに存在したであろう最初のストーリー部分を軽く触って「月日は流れ…」パターン。

なんだこれは!と思いながら観てましたが、後で考えればこれがオチに繋がる唯一の伏線だったのだと気が付きます。そう、途中に伏線張り巡らされている今の映画にあって(コナンとか凄いよね)、冒頭にしか伏線がないから酷評されるのではないかと思います。

PRGの壮大な物語を2時間弱にまとめるのは無理がある

飽きっぽい人には続けられない程の膨大なストーリーをせいぜい2時間しか尺がない映画に持ち込むのはそもそも困難な作業です。仮に3部作に分割すればできるかもしれませんが、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』をプレイしたことがある人ほどあのシーンがないこのシーンが違うと気になって仕方がないのではないかと思います。幸い私にはそれがないので素直に観ましたが、映画というコンテンツの制約の中でよくドラクエをまとめたものだと感心します。無理無理ですがストーリーとしては成り立っていました。

ラストが酷い。そしてVR

ここを詳しく書くと、映画を観ていない人に申し訳ないので観た人なら分かる書き方しておきます。

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はいわゆる”実は全部夢でした”という「夢オチ」と同等の手法でラストへ向かいます。これがこの作品の酷評に繋がっているのは間違いないですが、映画の総監督を務めた山崎貴氏がドラクエの映画化についてはじめは「ゲームと映画は相性が良くない」と即答で断り、ラストシーンのあるアイデアを「思いついてしまった」ため『これならやれるかもしれない、いや、やりたい』となったことを明かしています。

映画を構築する上で監督として描けた唯一のストーリーがこの「夢オチ」であったならば、「夢オチ」こそ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が映画として製作されたトリガーだったことになります。したがって、この「夢オチ」を否定してしまうと映画そのものが作られなかった可能性に言及しなければならなくなります。

「え?」ではなく「は?」だったのが残念

私はドラクエを映画コンテンツとして観ることができたことには満足していますので、山崎貴総監督が思いついたというこの「夢オチ」を否定しません。
ところが、「夢オチ」の話の転換は物語の途中で突然起こります。惜しいのはその転換場面が何の脈絡もなく訪れたことに尽きます。伏線が途中で張ってあればラストに「え?」となってすべての伏線が回収され驚きがあるのですが、今回はそれが一切なく(あったのかもしれませんが全く気がつかなかった。冒頭のゲームシーンはここの転換場面の直接の伏線ではない)単に意表を突かれて驚いただけの「は?」でした。

ゲームは突然固まって、カセット取り出して「ふーふー」してから気を取り直してやり直すのはファミコン/スーパーファミコン世代の常識(本当はふーふーするのは間違っているらしいですけどね)ですが、まさかそれを再現したとは言って欲しくない場面です。コンテンツの複雑高度化のこのご時世に見合った内容はそれではありません。

結局ドラクエはゲームなのだということ

冒頭で書いたスーパーファミコン版ドラクエVの画面をそのまんま流す手法は、長い『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』のストーリーを一部割愛する手段として使われたこともあると思いますが、私はドラクエはゲームであるということを映画の最初に宣言されたのではないかと感じています。

プレイすることで主人公の生き様を体験するゲームなのだ、と。

映画として観たものは、ドラゴンクエストという3D CGで構築されたゲームの世界を仮想体験させてもらったものに他なりません。もし自分が子供の頃にプレイしたあのゲームがフル3D CGになって、それをプレーヤーの視点で体験したらこうなるのだということを具体化したのが『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』なのだと考えると納得できます。

それであれば、突然のラストの場面転換で出てくる敵のアイツ(その存在に伏線張られてないことを私は残念だと思っている)のことはともかく、実際に映画の主人公リュカが置かれていたリアルな境遇は観ている自分がプレイしているゲームの主人公そのものなのだと気が付くでしょう。

「R」が逆のタイトル『DRAGON QUEST YOUR STOЯY』

映画のタイトルになっている『YOUR STOЯY(ユア・ストーリー)』の「R」が逆向きの「Я」になっています。トイザらスや三菱RVRに使われている、「Я」ですね。

邦題を日本語で付けるとするならば『ドラゴンクエスト あなたの物語 』といったところですが、そもそも物語のベースになっている天空の花嫁という文字はタイトルに入っていません。これは天空の花嫁とは別のところに主眼を置いて製作されたことを意味します。

主人公のリュカを通して観ている人に向けてゲーム『ドラゴンクエスト』プレイ体験を描いているから、「あなたの物語」なのでしょう。そして映画で描かれているものこそドラクエの仮想体験になります。

リュカをプレイしている「あなた」には現実(Real)のサラリーマン生活がありますが、現実(Real)とは逆の、ゲームとしての仮想のドラクエ生活はサラリーマンが仕事が終わったらゲームをプレイするという実際の現実の体験として考えることができます。Realの逆はバーチャル:Virtualですが、そこを「R」をひっくり返して「Я」になっているのがドラクエこそ「あなた」にとっての楽しいもうひとつの現実ということを表現しているのではないでしょうか。

『DRAGON QUEST YOUR STOЯY』は是非観て欲しい

あの結末が受け入れがたいと感じている人はかなり多いのではないかと感じます。賛否両論ではなく、賛1否9くらいじゃないかと。

だた、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はドラクエをプレイした経験があるならば是非観て欲しいと思います。ゲームプレイ中の合間に流れるムービーとは異なる、ドラクエワールドの良さというものを映画を通して感じることができます。

突然訪れるラストシーンの強引な場面転換は、途中でマインクラフトをプレイしてた画面が混信して使徒が現れたくらいに思うとよいでしょう。リュカが勇者ヨシヒコに見えてもそれは正常ですが、勇者ヨシヒコは実際にはリュカのお父さんです。

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