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コメント欄について

最近ちょっと忙しくて、フォーラムへの要望もツイッターでのご意見もブログコメントへの返信も滞りぎみでした。

ブログを運営するものの責としてちゃんとコメントは全部読んでいます。(誤字の指摘を相変わらずよく受けちゃってますが、全部修正していますよ)

さて、ここのところコメント欄にて、読者の方から不快な表現に対しての対応のご要望が多数寄せられています。

BANしてほしい
コメント非表示にしてほしい
などなど。

コメント欄の検閲については、以前このようにコメントしたことがあります。

今はコメントについての制限を設定しないで行けるところまでは行こうと思っています(スパム対策のため承認性にはしています)。ただし、検閲して修正することはあるかもしれません。

今回みなさんからご要望を多数受けているコメント欄に関する対応は、現時点では以下の理由で実施していません。今回問題になっている違法コピー問題を肯定するかのような発言に的を絞った話ではありません。

1. コメントを書き込んでくださる方以外の読者の方の意見を受け取る手段が無く、コメントの検閲は管理人の一方的な思い込みの結果となる恐れが皆無とは言い切れないため、コメントの内容の意見を受けたと言う事実は事実として捉えたい。

2. 何が正しくて何が正しくないのかの判断基準は読者の方にご自分で考えてもらいたいと考えて記事を書いており、管理人によるコメントの検閲は一部のスパムコメントを除き極力避けたいと考えている。

3. 何が正しくて何が正しくないのかの判断基準として、読者の方がご自身で判断できるようにするためには「正しい」意見と「正しくない」意見をあえて表示しておくことは意味があることであり、決して無意味で不快という負極だけであるとは限らない。

また、現実問題としてコメント欄の検閲はユーザー名、メールアドレス、IPアドレスが異なれば検閲の仕掛けの罠をスルーしてしまうので最終的には完全手動対応を迫られてしまいます。つまりはいたちごっこにつきあうかつきあわないかの判断になります。仮に不快なコメントを寄せる人のことをスパマーと呼びますが、スパマーが一人の時は手動でも対応は苦になりませんが、複数以上が多数スパムコメントを寄せてきたら個人的にはそこまで手が回らないのでいずれ放置せざるを得なくなることは明白です。

読者の方に不快な思いをさせるわけにはいきませんので、以下でちょっと前向きに考えてみます。

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現在のブログはWordPressで運用しています。WirdPressの場合、コメントをスパム扱いにして特定のコメントを表示しなくすることも出来ますし、コメントの文章を修正することも可能です。
楽天ブログのころは、毎日のように書き込まれたアダルトサイトへの誘導コメント対策(NGワード設定というのがあり、アダルトサイトの勧誘コメントでよく使われている言葉を設定していた)こそしていたものの、一般のブログ記事に関するコメントはそれが管理人に対する批判であろうとすべて表示してきました。

これは、人間の主観に基づく主張は十人十色で、自分の主観と異なるものは排除するという広義な意味での「言論の自由」を弾圧をしたいがためにブログを運営しているわけではないという意思に基づくものです。

「大人のためのゲーム講座」
というタイトルで、なぜ「大人」とつけたのかには3つの大きな理由があります。

1つ目。
ゲームは子供のためだけにあるのではない。老若男女問わず楽しめる娯楽である。子供だけではなく大人もゲームに熱中できるきっかけを作りたい。

2つ目。
ゲーム機にはハッキングという分野があり、ゲーム機を自由に楽しむことができるという内容を伝えることで「ゲームは子供の遊びだ」と考えている大人の方へ、そこには単にゲームで遊ぶ以上の世界があること大人が読んでも読み応えがある文章で伝えたい。

3つ目。
違法コピー問題はモラルの問題である。善悪の判断を自分で考えることができ、モラルを守ることでゲーム業界の更なる発展に寄与できるような大人の考え方をユーザーに示したい。

大人の考え方、大人の対応という表現がありますが、ここで言う「大人」とはどういう意味なのでしょうか。

デジタル大辞泉によると
1 成長して一人前になった人。
①一人前の年齢に達した人。⇔子供。
②一人前の人間として、思慮分別があり、社会的な責任を負えること。また、その人。
③昔は、元服後の男子、裳着(もぎ)を済ませた女子。
2 一族・集団の長や、年配で、主だった人。長(おさ)。頭(かしら)。女房の頭、武家の譜代の老臣、大小名の家老・宿老・年寄などの類。

つまり「大人のためのゲーム講座」の「大人」は
思慮分別があり、社会的な責任を負える人
です。

ことの善悪の判断ができ、責任のある行動を取ることができることが「大人」に求められていることです。
私はハッキングの誤った使い方の結果発生している違法コピー問題は常にモラルの問題だと主張してきました。
ハッキングが犯罪行為なのではなく、それを悪用することが犯罪行為なのです。分別を持ってゲームを楽しんでもらえさえすればハッキングで著作権が侵害されるようなことにはなりません。

これを一方的に伝えても、読者の方に賛同が得られるかどうかは甚だ疑問です。現時点で違法コピー問題が無くならないのは賛同が得られていないという事実を証明しています。(もちろん非力な名も知れぬ一般人が声高々に主張を叫んだところで実現しないのは、無名の新人が選挙に立候補しても政党やメディアの協力さえ受けられず泡沫扱いされてしまうことと同じです)

では、どうすれば無名の一般人がムーブメントを起こせるような流れを作ることができるのでしょうか。

自分以外の人たちに、流れを作ってもらうことです。

普段、この弱小ブログには超有名どころブログのように多数のコメントを頂いているわけではありません。それが、今回あるコメントによりそれを批判する多数の意見が寄せられています。

誤解を恐れずに言うと、”割れ”(英語で言うところの”crack”。ゲーム用語としての意味は”不正利用する技術”)こそが目的という意見と、それに対する批判の意見です。コメント欄を読んでいただければ分かりますが、”割れ”容認を支持する意見は皆無です。

これが何を意味しているのかと言うと、”割れ”容認の主張は誤りだという結論が私からではなく私の周りから導き出されているという事実です。

これは非常に有意義なことではないでしょうか。私と同じ主張を私以外が唱えていることに、私は何の異論もありません。

つまり、不快な意見1つに焦点をあてるのではなくそれを批判する多数の意見に焦点を当ててみてください。それは不快に感じますか?

そして、その不快な意見の発言主は自分の主張が間違っている部分があったことを認め、(発言全てが非難される訳ではありませんが)もし自分が成長して「大人」になる意思があるのであれば、その部分に関しては考え方を改める必要があります。一対多で圧倒的な批判を受けた考え方については間違った考え方である可能性が濃厚です。

ただし、少数意見が必ずしも間違っているとは言い切れません。もしそれでも自分が正しいと主張できるだけの材料を持ち合わせているのであれば、堂々と主張を続けてください。かつて天動説の時代にコペルニクスが唱えた地動説は誤りであると批判を受けていましたが、後に正しいという判定を受けたのは当時は批判を受けていた地動説です。

主張を続けたとしても大した理由もないのに大衆を煽るだけだけだった場合、私の堪忍袋の緒の切れ具合と相談してBANします。

自由にやっていいよと受け取られると困りますので一つだけ、宣言しておきます。

「違法コピーゲームをダウンロードすればゲームなんてタダ」だとか、「お金払ってゲーム買うなんてばかばかしい」などという発言はブラフの可能性もあるので検閲などの対象にはしませんし、悪例として批判のターゲットとなってもらいますが、実際に違法にコピーゲームをアップロードしてあるサイトを紹介したりなど直接的に違法行為に加担するようなコメントに関しては容赦なく検閲します。

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